※イラストは生成AIにて100倍イケメンに生成されております

田中 宏紀 プロフィール          

岐阜県関市生まれ。

幼い頃、友達から「ヒロキッキ」というあだ名を付けられ、 やがて「キッキ」と呼ばれるようになる。

小学1年生の時、 「何か習い事がしたい」と親に頼み込み、公文式へ通い始める。

しかし小学2年生の頃、 「月謝が払えないから辞めてくれ」と言われ退会。

その後、アニメ「ムサシの剣」に憧れて剣道の見学へ行くも、 身体が小さすぎて 「まずは1年しっかり身体を作ってから来なさい」 と言われ入門できず。

小学3年生で漫画「キャプテン」に影響を受け、野球を始める。

この頃から、 “野球”と“料理”が人生の中心になっていった。

 

料理との出会い

両親が家を空けることも多く、 小学4年生頃から、自分と弟の食事を作るようになる。

当時の得意料理は、 キムチチャーハンとフライドポテト。

やがて従兄弟にも料理を振る舞うようになり、 3歳下の従兄弟が 「美味しい!また食べたい!」 と言ってくれたことが、今でも忘れられない。

“料理で人を喜ばせることができる”

そう実感した瞬間だった。

この頃から、 将来は料理人になりたいと思うようになる。

その従兄弟とは兄弟のように育ち、 毎日のように遊んでいた。

ある日、少し風邪気味だった従兄弟と、 無理を言って一緒にスケートへ行った。

その後、体調はさらに悪化。 入院。

重い病気だった。

毎週お見舞いへ通った。

抗がん剤で髪が抜け、 不安そうな姿を見るのが辛かった。

弟とお小遣いを貯め、 ゲームソフトを購入。

親には 「友達から100円で譲ってもらった」 と嘘をつき、 従兄弟へ渡した。

それからしばらくして、 従兄弟は昏睡状態となり、そのまま息を引き取った。

当時は受け入れられなかった。

でも不思議と、 夢には毎日のように出てきてくれた。

「ひろくんの料理、また食べたい」

そう言ってくれている気がした。

 

料理人として

高校時代は、 スーパーの惣菜部門と肉屋で掛け持ち 夜はパチンコ屋の清掃のアルバイト。

卒業後はパン屋へ就職し、 独学で調理師免許を取得。

調理師として25年以上経験を積む。

惣菜売り場で寿司を作りながら、

「この商品を買って帰った家族が、 笑顔で食べてくれるのかな」

そんな想像をすることが、 一番のモチベーションだった。

 

野球と挫折

野球は小学3年生から中学3年生まで続けた。

しかし結果は、 “6年間補欠”。

公式戦出場は一度もなかった。

悔しかった。

野球が嫌いになり、 「もう一生やらない」 そう決めて、野球部のない高校へ進学した。

大人になり、個人競技なら俺は結果を残せると考え21歳の時に近所にあった ボディビルジムに飛び込み入会 29歳の時 岐阜県ベンチプレス大会60キロ級で優勝  39歳の時 初出場の新空手名古屋大会 軽量級でで敢闘賞受賞 

でも何か物足りなかった。

40歳の時SNSの投稿で見たキャッチボール仲間募集に問い合わせる。メンバーは3人 やがて大人になってから親友と呼べる仲間となった。

キャッチボールだけのつもりが、キャッチボールをしていた公園で草野球チームの助っ人を頼まれた事がきっかで何チームも掛け持ちするほど野球にのめり込んだいた。

嫌いになろうとした野球を嫌いになれていなかった。都合の悪い事、自分が実績を残せない事から逃げていただけなんだと気付いた。

これからは何でも好きになれば人生めちゃくちゃ楽しいんだと そこでようやく気づく事ができた。

 

車との出会い

高校時代、 スポーツカーへの憧れが強くなる。

「早く免許を取って車に乗りたい」

その一心で、 進学ではなく就職を選んだ。

最初の愛車はS13シルビア。

休みの日は板金屋へ通い、 車いじりを教わる。

ユーザー車検も覚え、 仲間の車検を通すようになった。

最初は完全に趣味だった。

しかし、 自分が紹介した車が壊れた時、 申し訳なさから原因を調べ、 修理するようになる。

気付けば、 整備も塗装も独学で覚えていた。

 

人との出会いが人生を変えた

長年勤めた職場が廃業。

「従業員の生活ばかりを心配して自分を犠牲にする人生ではなく、これからは一人で、自分らしくやろう」

そう決意する。

とはいえ、 最初は何ができるか分からなかった。

とりあえず、 オーディオ取り付けなどの依頼を受けようとSNSへ投稿。

すると、 一人の車屋さんから連絡が来た。

会ってみると、 パキスタンの方でアハマドさんだった。

アハマドさんには本当にお世話になった。

接客、登録、車検、用品取り付け。

副業として様々な仕事を経験させてもらった。

いつもご飯をご馳走してくれて、 「オイシイカレーヤサン タナカサンニモタベテホシイ!」 と連れて行ってくれたのがCoCo壱だった‥
とにかく良い人だった まだ恩返しもできない
最初間違えてモハメドさんって呼んでいて今更アハマドさんとも言えないのでモハメドさん呼びで貫いている。

そこからさらに経験が増え、 ディーラーでの新車用品取り付けや、 個人店からの下請け仕事も増えていった。

その中で気付いた。

“料理じゃなくても、 人を喜ばせることはできる”

しかも、 喜んでくれている顔や言葉が、 ダイレクトに返ってくる。

「車屋、ありだな」

そう思った。

 

今の仕事への想い

地元の親友たちに協力してもらい、 土地を購入。

造成から始め、 ゼロから今の形を作った。

大手のような規模はない。

でも、 運営コストを抑えているから、 その分お客様へ還元できる。

ただ、 “安いだけ”では大手には勝てない。

だからこそ、

細かな相談 柔軟な対応 無理を聞くこと 本音で付き合うこと

そういう、 昔ながらの人付き合いを大切にしている。

もちろん、 無理なことは無理と言う。

「この人とは合わないな」 と思えば断ることもある。

それは、 今来てくださっている大切なお客様と、 長く良い関係を続けたいから。

県外のお客様と会う時は、 いつもこう思っている。

「自分は岐阜代表」

“自分で岐阜人の印象が決まる”

そのくらいの気持ちで接している。

だからもし、 誰かが

「岐阜の人って良い人多いよね」

と言っていたら、 少しは自分のおかげかもしれない。

逆に、

「岐阜って変な人多いよね」

と言われたら、 それはたぶん自分のせいです。

すみません。

 

最後に

実は今でも、 料理人の夢は諦めていない。

いつかまた、 目の前で「美味しい」と笑ってくれる顔を見られる仕事をしたい。

車でも料理でも、 自分がやりたいことは昔から変わっていない。

“人に喜んでもらうこと”

ただ、それだけです。

僕が僕であるために
自分を見失わない為に 箇条書きにした事があります。

・何かのせいにしない

・人は人

・直接言えない事は陰で言わない

・見返りを求めない

・根拠はないけど何とかなる

・仲間に感謝

・派手な生活はしない 憧れない 影響されない

・奢ってもらう時 物をもらった時は 身を削った物をいただいたと思い感謝を忘れるな

・してもらって当たり前だと思わない

・絶対が絶対とは限らない

・昨日よりも成長する

・割に合わない事は運が蓄えられている

・今がある事を当たり前と思わない

・誰であろうと尊敬できる所があれば素直に尊敬する

これを定期的に読み返し、自分を見失わないようにしています。収入が多いわけでも、頭が良いわけでもない僕の周りには、素敵な仲間がたくさんいます。それが僕の最大の財産だからこそ、この気持ちを忘れず、これからも大切にしていきたいと思っています。